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2007/04/21

教科書検定と幻想の共同体

 沖縄での軍の命令による住民の集団自決の記述が、教科書検定に引っかかり、修正を求められた。「軍の命令」があったかどうかは現在係争中の事件もあり、確認しがたいから、状況に迫られて集団自決が行われたこともあった、というふうに書き直せと、業者は指示された。しかし係争中のこの事件で仮に隊長が命令していなかったとしても、他の大小様々の事件において、軍の命令なしに住民が自発的に集団自決した、ということにはならないだろう。それに、この事件においてでさえ、当時の軍民間の力関係の差を考慮すれば、住民が全く自発的に集団自決したとは言い切れないだろう。

 ところで、1955年の検定では、軍の命令による住民の集団自決を記述せよ、という指示が行われたことも、ここで想い出しておこう(日高六郎『私の平和論』岩波新書)。この指示には次のような背景があった。ハワイ在住経験のある沖縄の一住民を、軍がスパイ容疑で処刑した。実際は彼はスパイでも何でもなかったのである。この事実を記載した教科書は検定に引っかかり、それを書くなら、軍の命令による集団自決も記述せよ、という指示が出たのである。その意味はちょっと分かりにくいが、こういうことだ。スパイ容疑での処刑は明らかに軍のあやまちだが、集団自決は軍と一体になった住民の愛国心の表れだから、これを記載することで、軍のあやまちだけを記載するより公平が保たれる。もう一つ分かりにくい公平観だが、それはともかくとして、1955年当時は、検定委員は軍の命令による住民の集団自決の記載を指示していたのだ。今日から見れば隔世の感がある。

 この変化はどうして生じたのか。教科書検定に関して政府自民党が文部(科学)省や検定委員に加え続けてきた圧力が、その大きな要因であったと思う。この圧力を最近になってとりわけ強化した集団は1997年2月に設立された「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(今は「若手」が消えた)である。先のブログでは、従軍慰安婦問題が教科書で取り上げられていることへのこの会の不満を紹介した。その際、南京大虐殺の事実をも疑問視する会員の意見にも触れた。軍の命令による集団自決事件に対してのこの会の反応はどのようなものであるかは定かでないが、おそらく「軍の命令」を削除することには賛成だろう。そう思うのは、従軍慰安婦問題や南京大虐殺問題への彼らの反応に見られる通り、困った問題への軍の関与をできるだけ認めたくないというのが彼らの立場だからである。
 どうして認めたくないのか。日本においては軍は官であり、お上であった。またお上とは支配層の代行機関であった。その軍の命令による集団自決といった事態は、軍民間の亀裂を露呈する事例である。引いてはまた上下一体の幻想に冷水を浴びせる事例でもあるのだ。だから支配層にとっては、軍の命令による集団自決はなるべく認めたくない事実なのである。支配層にとっては、内部に亀裂のない国民共同体という幻想ほど貴重なものはない。それは民衆を騙すだけではなく自分たちをも騙し、自分たちのエゴイズムを正当化することができるからだ。
 従軍慰安婦や南京大虐殺の場合は、集団自決の場合に比べると、対内的エゴイズムの隠蔽よりも対外的エゴイズムのそれのほうが目立っている。戦争となれば、そんなことはどの国家もやっているし、したがってたいした悪ではない、という訳だ。そして戦争をしかけたのは自分たち支配層であることを忘れたかのような顔をしている。この場合もまた、一体としての国民共同体の幻想が、意識的かあるいは無意識的に利用されている。民衆の中にはお上の煽動に乗った部分もあるだろうが、しかし戦争の意思決定を行ったのは民衆ではなく、お上だったのだ。

 最低投票率も決めていない国民投票法案が、多数の力で参院においても可決されそうである。近い将来においては憲法が改正され、戦争に参加しやすい国家となる可能性が大きくなった。今度は自分で戦争をしかけることはなさそうだが、自衛隊が他国の軍隊の一部に編入され、その国の利益を守るために、あるいは自国の大企業の金儲けをバックアップするために、自衛隊が正真正銘、命がけで危険な地域に出かけることになるだろう。もちろんそうした出動を決定するのは支配層である。今度もまた血を流すのは自衛隊隊員や在留邦人であり、支配層は怪我一つ負うことはないのだ。そして犠牲者に対してこう言うだろう。「国民共同体の一員としてあなた方には感謝する。靖国にはまつってあげるからね」と。

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