森進一が川内康範作詞の「おふくろさん」(昭和46年にリリース)の冒頭に付け足したセリフ(保富康午)が問題になっている。セリフが付け加えられたライブLPが出たのは昭和52年であった。このセリフ付き「おふくろさん」は一昨年、昨年の紅白歌合戦でも森氏によって唄われた。作詞家の川内氏は10年ほど前からこのセリフの付加のことを知っていたというが、そのことについて森氏と話し合う機会をもとうとしたのは最近になってからである。今年の2月17日に直接会うことになっていたのに、森氏は体調不良を理由にドタキャンした。それも電話をしたのは森本人ではなく事務所の人であった。川内氏は事務所の人の背後に森氏がいる気配を感じたという。川内氏が憤激したのはこの電話以後である。川内氏は森氏に以後は「おふくろさん」を唄わせないと通告した。森氏は川内氏宅に手土産持参で謝罪の意を表しに行ったが、面会は拒否され、贈物は返送された。
森氏によれば、川内氏がなぜ憤激しているのかが分からなかったという。著作権の問題に関してはLP発売当時、事務所のほうで手を打っていたと思っていたからである。それから30年も経っているのに、今頃になってなぜ怒り出したのかが理解できない、というわけだ。ところが、事務所のほうは川内氏に何の了解も取っていなかったのだ。森氏が怠慢であったというほかはない。
30年ものあいだ作詞者に何の断りもなしにセリフ付き「おふくろさん」を唄い続けたことは、明らかに著作権の侵害である。森氏がそのことを全く意識していなかったことは、自分が電話に出もしないで川内氏との面会をドタキャンした事実に表れている。
しかし問題は著作権の侵害だけにあるのではない、と拙者は思う。付加されたセリフが、後に続く川内氏の詞の趣旨をまるで無視した内容であるということも、大きな問題だ。セリフはこうである。
「いつも心配かけてばかり いけない息子の僕でした
今ではできないことだけど 叱ってほしいよ もう一度」
ところで川内氏の詞のほうには「いけない息子」であるにもかかわらずその子を愛する母といったイメージは全然出てこない。そこに出てくる母は世の人々を広く愛する人間になれと教える母である。この教えを説く部分を一部分抜き出しておこう。
「雨の降る日は傘になり お前もいつかは世の中の
傘になれよと教えてくれた・・・
雪が降る日はぬくもりを お前もいつかは世の中に
愛をともせと教えてくれた あなたのあなたの真実
忘れはしない」
この母は息子に普遍的に人を愛する人間になれと教えているのだ。ところが付加されたセリフのほうでは、普遍的な愛を持てと教えた母に対する息子の尊敬の感情は欠如している。ここではダメな自分でも息子であるがゆえに愛してくれる母へのナルシシスト的な依存が唄われているだけだ。こうした川内氏の詞の趣旨とは無縁のナルシシスト的な依存をくっつけた歌を平気で、得意気に唄う森氏の鈍感さもまた問題なのだ。この人は川内氏の詞の趣旨がまるで分かっていないから、このセリフにセンチメンタルな自己陶酔の感情を乗せて唄い続けたのである。
川内氏の詞の中の母は美しい。愛する息子に、その愛を通して、世の人々への普遍的な愛(断じて愛国心ではない)を教えているのだ。こういう愛が美しい国をつくるのである。一方、森氏の歌唱で想定されている母の愛は、もっぱら息子だけに向けられる閉ざされた愛だ。それは「私(わたくし)」に終始し、川内氏の母のように公共へと向かうことはない。ここから拙者の独断となるのだが、この種の「私」性はじつは「公(おおやけ)」性と決して無縁ではないのだ。「私」的ナルシシズムが突然拡大して「公」への献身に転じることがある。これが安倍総理たちのお好みの愛国心なのである。川内氏の母は公共へ向かっているのであり、「公(おおやけ)」に向かっているのではない。しばしば思い違われているが、この意味での愛国心は公共心とは重ならない。
森進一氏は著作権を侵害しただけではなく、詞の趣旨に反したセリフを唄い続けた。これを彼の鈍感さと呼ぶのは、鈍感力という言葉をはやらせた作家から見れば語の拡張使用ということになるだろうが、まあ、そんなことはどうでもよい。森氏の鈍感さは有名人の傲りからきている面もあると思うが、どうだろう。川内氏の憤激に対して「そんなに怒らなくてもいいではないか」と言う人もいるだろうが、拙者は怒って当然だと思う。(もっとも、川内氏は「新たなアレンジは感動的でいい」と語り、事前説明のなかった道義的部分に対して憤っている、という報道もあり、彼の憤りの真相は拙者に知るよしもないのだが。)森氏は川内氏にきちんと謝罪し、当分謹慎したらどうか。
コメント
森進一さんの歌に対して作詞家の川内氏が苦情を申し立て紛争に
なっている事件に激高老人の作田氏が明快なコメントをしてくださった。(事の次第がよくわかったと思う。)
しかし、探偵が一言すればなにぶんにも30年前の流行歌であり、
異議を申し立てるには遅きにすぎる、つまり時効が成立しているのではないかという疑問がある。
そして、当時森さんのところに取材した経験もある鳥越俊太郎氏が
テレ朝の番組で言っていたが、「あの歌を川内さんの作詞を一部変更したのは渡辺プロの人であり、森さんはそのことを当時は知らなかったのでないか。だから、森さんを訴えるのは酷ではないか」
ということだった。
ただ、作田さんが言う理由もよく分かる。難しい問題である。
投稿: 名無しの探偵 | 2007/03/22 21:53