閣僚たちの人権感覚
伊吹文部科学相は長崎県の自民党支部大会で「人権だけを食べ過ぎれば日本社会は人権メタボリック症候群(内臓脂肪症候群)になるんですね」と語ったそうだ。だが国民の大部分には自分たちが人権過剰享受の国で生きているという実感はないだろう。鹿児島県志布志町の住民12人が警察署長たちの功名心のために、ありもしない事件の被疑者にでっち上げられ、拷問に近い取調べを受けて起訴された。生活保護の老齢加算分を取り上げられそうになっている一老婦人は、朝になったら死んでいることを願いながら就寝すると、ある報道番組で語っていた。人権無視が横行している。伊吹文科相はどの社会と比較して日本人は人権メタボリック症候群に陥っていると言うのか。差別して言うつもりではないが、まさかアフリカのウガンダや北朝鮮と比較しているわけではないだろう。伊吹文科相の人権感覚は並以下だ。
柳沢厚生労働相のたび重なる問題発言の根っこも同じである。「子を産む機械」「2人の子をもうけるのは健全」「工場労働は労働時間だけが売り物」(2/19の衆院予算委員会での発言)など。この人は差別意識が身にしみついているので、自分の発言がごく「自然」のことのように思え、外側にいる人にどう思われるかがまるで分かっていないのだ。
今回はまた、安倍総理の鶴の一声で、郵政民営化をめぐる落選組の一人・衛藤晟一氏が復党のうえ、参院比例代表に予定されているそうだ。この人物はいわゆる自虐史観を批判する若手議員の会で安倍氏と共にリーダー格をつとめていた。だから総理はこの盟友を優先的に復党させ、共に国づくり(神武天皇もどき?)に邁進しようというわけだ。彼ら自虐史観批判者たちは、アジア近隣諸国の人々に対する日本国家の人権侵害を、ほとんど問題にしない。それを問題にすると「自虐」だとレッテルを貼るのである。しかし彼らの歴史観とは実は自己中心的史観にほかならず、エゴイズムの拡大形態であることに気づいていないのだ。
人権軽視の上に立った国づくりは明らかに時代おくれである。とうていこれを新しい国づくりだとは言えない。新自由主義にもとづく構造改革は新しいではないかと反論する人もいるかもしれない。だがこの「改革」は諸種の規制緩和を通して格差増大の結果を産み出し、日本を先進国の中で第二位の貧困率を「誇る」国にしてしまった。貧困は人権をおびやかす。だからその点では現在進行中のこの国の構造改革は時代おくれなのだ。
閣僚ばかりではない。「労働者を甘やかすな」「過労死は自己責任だ」などと暴言を吐く労働政策審議会(厚労相の諮問機関)の委員(人材派遣会社社長・奥谷禮子氏)もいる。大企業を一方的に肥らせる経済・社会政策は新しいように見えるが、この政策は人権に関する古くてにぶい感覚に支えられているのである。
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