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2006/12/20

戦後体制から「富国強兵」へ

 改正教育基本法が参院も多数の力で通過した。改正に反対するデモや集会が数多く繰り広げられたが、マスメディアはほとんど報道せず通過後にやっと少しばかりその状況を記事にした。公聴会ではほとんどの専門家が改正案に反対したが、その直後に参院の審議は打ち切られた。公聴会とはアリバイづくりにすぎなかったのだ。気が滅入ってしまった国民も少なくないだろう。拙者もその一人だ。安倍イデオロギー内閣は重要な関門を一つ越えた。この内閣にとっては国民の大多数が願う生活の不安からの解放は主要な目標ではないのだ。「強い」(「美しい」ではなく)国づくりという目標が第一次的なのだ。
 ワーキングプアを放置し、生活保護を受ける条件をますますきびしくする一方、法人税の引き下げが日程に上っている。企業の国際の競争力を強めるためだ。しかし企業や、そして銀行がますます強くなっても、大半の国民の生活が楽になる仕組みはできていない。明治時代、「富国強兵」が為政者の国家目標であった。戦後体制を否認する安倍内閣は明治時代への逆戻りをめざすような相貌を呈し始めている。
 自民党の中川昭一政調会長は最近、アメリカによる二度の原子爆弾投下は、日本の敗戦が明らかとなった時点で行われた事情を考慮すれば、戦争犯罪であると言ってもよい、と発言した。この人はまた、核武装の議論をしてよい時期が来ているとも発言している。無辜の市民を大量虐殺した原爆投下は戦争犯罪の疑いがあるという指摘はもっともである。ただ、この発言はアメリカの核の傘に日本の安全を託している現状への不安にからめての発言であり、そこから自前の核武装を議論すべきだというもう一つの発言と連関しているのだ。
 中川昭一氏の発言は現状ではパワー・エリートたちの中では突出しているように見える。しかしこれを支持する空気が彼らのあいだに充満しているように思える。中川氏はその空気をあからさまに表現する旗手であるかのようだ。彼の発言がパワー・エリートたちのあいだで公認され、一国の政策となるおそれが多分にある。そうなれば、憲法改正後、核武装を伴った徴兵制の軍隊の制定が政策の日程に上ることになるだろう。それと共に企業は栄えるかもしれないが、大半の国民はますます低い水準の生活を強いられることになるだろう。今では大半の国民は北朝鮮の軍事優先の体制をあざ笑っているが、そう遠くない将来において、私たちもまた軍産優先の「強い」国の圧制のもとで自由を奪われ、困窮に陥るだろう。そうなればそうなるほど、無力となった人々は「強い」国と同一化して、みずからの無力を補償し、強い自分になったという幻想に陥りやすくなるだろう。その時やっと、私たちの中には、改正教育基本法のうたう愛国心なるものが幻想にすぎないことに気づく人々がふえてくるだろう。自由を失った代わりに手に入れたものが幻想にすぎなかったことが、はっきり分かる人々がふえてくるだろう。しかしその時は、もうかなり手おくれとなってしまっているのだ。
 こんな悪い予想が当たらないことを願う。どうすればよいのか。今の体制のもとでは、各レベルでの選挙、とりわけ国政選挙において、「富国強兵」に反対する候補者に投票するほかはないのである。

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2006/12/04

中島みゆきと政・官の恥知らず

 有田芳生さんのブログで中島みゆきの新アルバムが出ているのを知り、久しぶりに買ってきて聞いた。「久しぶりに」と言うのは、ここ数年繰り返しが多く、十数年前に導入されたオリエンタルふうの曲はあまり成功しているようには思えず、以来あまり熱心なリスナーではなかったからである。今回の『ララバイSINGER』も、繰り返しが多いようだが、それでも「ただ・愛のためにだけ」と「お月さまほしい」の2曲にはやはり強くアピールするものがあった。彼女は三十数年にわたり、自由・愛・正義を歌い続けてきた。繰り返しが多くなってもやむをえない。三十数年間も続けてきたのは大したことだ。だがそれはこれらが、多くの人たちがそれへの到達を願いながら、到達できないからでもある。そして、拙者は多くの人々もまた、これらを求め続けていることに希望をもつ。

 最近話題をさらっている「やらせ」タウンミーティングや、郵政民営化に反対した議員たちの土下座復党を見聞きすると、自由・愛・正義にあまりにも遠い思いがする。滑稽でもあり、情けなくもある。

 例を挙げれば、2003年12月に岐阜市で行われた教育改革のタウンミーティングでは、人件費が厖大に支出されていることに驚いてしまう。中でも有名になったのは閣僚接遇にかかわる支出である。空港・駅での閣僚送迎等15000円、会場における送迎等が40000円、エレベーター手動(ボタンを押すだけ?)15000円、エレベーターから控え室までの誘導5000円。
 岐阜市の場合であったかどうか忘れてしまったが、内閣府の役人の参院特別委員会での答弁によると、この種の支出額が集めた業者の中で一番安い見積もりだったそうだ。これが教育基本法改正案を通すための「やらせ」タウンミーティングの経費の一部である。これらの金が本当に業者に渡ったのだろうか。渡したと称して裏金を作っているのではなかろうか。それとも、業者に恩を着せて別の見返りを求めているのだろうか。いずれにしても高価な見積もりをしたこの業者との政・官の癒着が疑われても仕方がない。
 もう一つは2005年6月静岡市で開かれた同じく教育改革タウンミーティングである。駅から会場までわずか徒歩5分の距離しかないのに、静岡県内ではハイヤーが出尽くして雇えなかったとかで(これは嘘らしい)、東京から静岡まで当時の中山文科相ら3人を乗せるためのハイヤー15台、伴走車6台の計21台が延々と東海道をくだった(ことになっている、計57万円也)。特別委員会の答弁では、支出額の帳尻を合わせるためにハイヤー4台を15台にしたとのこと。それにしても本当に東京から静岡まで空ハイヤー4台(?乗車人数は3人?)がやってきたのか。わずか数分間の乗車のために。本当ならば馬鹿げているし、嘘ならその金をどうしたのか告白すべきだ。
 生活保護を受けている母子家庭に加重される手当さえも削ろうとしているのに、こうした無駄な、あるいは偽装の支出を平気で行うのはあんまりではないか。

 郵政民営化に最初反対した自民党の11人が復党を願い出て誓約書を書いた。小泉首相に言わせれば(酷薄な人だ)「土下座」復党である。彼らはひたすら党の執行部に「ありがとう、ありがとう」と連発した。一人の長老はそれでもかっこうをつけようと、「民営化には賛成だったが、法案には反対であった」などと訳の分からぬ弁解をしていた。彼らは党の執行部に感謝、感謝とぺこぺこするくせに、民営化に反対する候補者だと思って投票した選挙民に対してはまだひとことも謝罪していない。説明会でも開く気はあるのだろうか。この裏切り行為をどのように説明するつもりなのだろうか。議員として生活してゆくためには自民党所属が有利であることは分かる。だが得をするためには恥も外聞もそっちのけというのでは、国会議員としての資格が問われるのではなかろうか(※)。国会議員は国民を代表するエリートであるはずだからだ。その意味で土下座11人衆は流行語を使えば「品格」が欠けている。もちろん「品格」が欠けている議員は他に沢山いるように思われる。選挙民が眼中にない土下座がたまたま目立っただけだ。

 これらの行状を見ると、こうした連中が自由・愛・正義からあまりにも遠いところにいる感がする。政治は理想どおりにはゆかない妥協の営みだと彼らは言うかもしれない。それは分かる。しかし彼らはその理想をまるで持っていそうにないところが問題なのだ。

※「仕方ない仕方ない そんな言葉を 覚えるために 生まれて来たの?」(中島みゆき「はじめまして」)

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