戦後体制から「富国強兵」へ
改正教育基本法が参院も多数の力で通過した。改正に反対するデモや集会が数多く繰り広げられたが、マスメディアはほとんど報道せず通過後にやっと少しばかりその状況を記事にした。公聴会ではほとんどの専門家が改正案に反対したが、その直後に参院の審議は打ち切られた。公聴会とはアリバイづくりにすぎなかったのだ。気が滅入ってしまった国民も少なくないだろう。拙者もその一人だ。安倍イデオロギー内閣は重要な関門を一つ越えた。この内閣にとっては国民の大多数が願う生活の不安からの解放は主要な目標ではないのだ。「強い」(「美しい」ではなく)国づくりという目標が第一次的なのだ。
ワーキングプアを放置し、生活保護を受ける条件をますますきびしくする一方、法人税の引き下げが日程に上っている。企業の国際の競争力を強めるためだ。しかし企業や、そして銀行がますます強くなっても、大半の国民の生活が楽になる仕組みはできていない。明治時代、「富国強兵」が為政者の国家目標であった。戦後体制を否認する安倍内閣は明治時代への逆戻りをめざすような相貌を呈し始めている。
自民党の中川昭一政調会長は最近、アメリカによる二度の原子爆弾投下は、日本の敗戦が明らかとなった時点で行われた事情を考慮すれば、戦争犯罪であると言ってもよい、と発言した。この人はまた、核武装の議論をしてよい時期が来ているとも発言している。無辜の市民を大量虐殺した原爆投下は戦争犯罪の疑いがあるという指摘はもっともである。ただ、この発言はアメリカの核の傘に日本の安全を託している現状への不安にからめての発言であり、そこから自前の核武装を議論すべきだというもう一つの発言と連関しているのだ。
中川昭一氏の発言は現状ではパワー・エリートたちの中では突出しているように見える。しかしこれを支持する空気が彼らのあいだに充満しているように思える。中川氏はその空気をあからさまに表現する旗手であるかのようだ。彼の発言がパワー・エリートたちのあいだで公認され、一国の政策となるおそれが多分にある。そうなれば、憲法改正後、核武装を伴った徴兵制の軍隊の制定が政策の日程に上ることになるだろう。それと共に企業は栄えるかもしれないが、大半の国民はますます低い水準の生活を強いられることになるだろう。今では大半の国民は北朝鮮の軍事優先の体制をあざ笑っているが、そう遠くない将来において、私たちもまた軍産優先の「強い」国の圧制のもとで自由を奪われ、困窮に陥るだろう。そうなればそうなるほど、無力となった人々は「強い」国と同一化して、みずからの無力を補償し、強い自分になったという幻想に陥りやすくなるだろう。その時やっと、私たちの中には、改正教育基本法のうたう愛国心なるものが幻想にすぎないことに気づく人々がふえてくるだろう。自由を失った代わりに手に入れたものが幻想にすぎなかったことが、はっきり分かる人々がふえてくるだろう。しかしその時は、もうかなり手おくれとなってしまっているのだ。
こんな悪い予想が当たらないことを願う。どうすればよいのか。今の体制のもとでは、各レベルでの選挙、とりわけ国政選挙において、「富国強兵」に反対する候補者に投票するほかはないのである。
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