気になるNOVAのCM
男の人が倒れてもがきながら何か叫んでいる。通りがかった少女がその声を聞き、「ご免なさい」と泣き出しながらNOVAの建物に入ってゆく。男の人がしゃべっているのが外国語で、それが分からないのを恥じた少女がNOVAに駆け込む、といったストーリーである。従来のNOVAのCMではアニメのウサギの動作や声に愛嬌があって楽しめたが、今回のは気になるストーリーが展開されている。拙者はその中の少女の行動に全く共感できなかった。
第一に、この男の人は外国語をしゃべっているようだが、その動作を見ただけでも救助を求めていることは誰にでも分かる。彼女もそのことは分かっている。だとしたら、まず彼の訴えに応えようとするのが自然ではないか。自分では応えられないと思ったら、彼の代わりに周囲に助けを求めたり、119番に電話したりするのが自然だろう。もし彼女が臆病な人でかかり合いになるのを恐れたとしたら、心を残しながらその場から立ち去るだけだろう。いずれにしてもNOVAに駆け込んだりはしないだろう。
第二に、日本において外国語が分からないことに涙が出るほど恥ずかしがるのは変だ。その点にも拙者は共感できなかった。日本人は英語圏の人々にコンプレックスがあるから、この少女の行動は別に変ではない、と言う人もいるかもしれない。だとしたら、拙者が違和感をもつのはこのコンプレックスに対してなのだ。
以上がこのCMに共感できなかった理由である。NOVAに足を運ばせるようなストーリーを作っているだけなので、そんなにムキになる必要はない、とたしなめる人もいるだろう。いちおうはその通りだが、だとしてもわざわざこんな不自然なストーリーを作らなくてもよかろう。そこからさらにさかのぼって、この不自然なストーリーをそれほど不自然とは思わせない現実が、今の社会には存在しているのだ、という考えにいたってしまう。
困っている人を見て、ともかく何とかしてあげようと近づく自然な行為が、以前よりも少なくなっているのが、今日の現実ではなかろうか。それだけではなく、その救助から逃げるために、外国語が分からないから、などといった口実を設けることが以前よりも多くなってはいないだろうか。だとすれば、このストーリーはそういう現実をある程度反映していると言えそうである。
小泉内閣による構造改革は所得格差を広げ、社会的弱者の層を厚くしてきた。社会的弱者を貧困率で示すと、それは若者(18-25歳)、母子世帯、高齢単身者において異常に高まってきている。そのほか、全人口の中で占める割合は少数だが、障害者・障害児童に対し、自立支援と称して、救助のための予算は減額の一途を辿っている。安倍内閣もまたこの構造改革を継承し、促進すると宣言しているので、格差と弱者いじめとは進行する一方となるだろう。再チャレンジがうたわれてはいるが、どれだけ効果を発揮するかは疑わしい。貧困率の増大の根源は、所得再分配の方式や大企業優遇政策にあるのだ。新内閣はこの政策や方式を再考する気配を全く示していない。この国民生活の実態の改善よりも、憲法改正や教育基本法改正を優先させると言っている。生活よりも観念が重要なのだ。この内閣はいわばイデオロギー内閣である。この内閣は国の経済力、軍事力の強化をめざしている。国際の競争に打ち勝つためだ。そのためにお上の言うことには何であれ従順に従う愛国心の培養をもめざす。結構なことだ、と言う人もいるかもしれない。これらの強化は結局は国民を豊かにするからだ、と。だが実際にはそうはならないのだ。国が豊かになってもその分け前は弱者には薄いこともありうるからである。事実、アメリカは経済力、軍事力を誇っているが、いわゆる先進国の中での貧困率は最も高い。次の順位にあるのが日本である。
小泉内閣は新しい貧困層の増大に目をつぶってきた。安倍内閣もこの逃避傾向を受け継ごうとしている。NOVAのCMの少女みたいだ。そしてその逃避を正当化するために憲法改正や教育基本法改正といった観念を持ち出すのである。そして日本の場合は、少女の外国語コンプレックスのようにアメリカ・コンプレックスが付きまとっているのだ。
しかし以上の類比にはやや無理がある。というのは、例の少女は倒れている人に対して疑いもなく同情心をいだいているが、小泉、安倍といった新自由主義者たちは、弱者に対してほとんど同情心をもたないかのように見えるからだ。落ちこぼれは新自由主義者にとって、本人の怠惰のせいであるか、あるいは不可避のコストであるかのようだ。実際にはこの落ちこぼれの大部分は為政者が設定した再分配方式や大企業優遇政策のせいであるにもかかわらず、である。
| 固定リンク
| コメント (4)
| トラックバック (1)
最近のコメント