畠山鈴香被告の自己破壊
米山豪憲君殺害を認めた鈴香被告は、今度は娘の彩香ちゃんの殺害をも認め始めた。彩香ちゃんの死が警察により事故死の可能性が高いと発表された時以来、鈴香被告はこの死に事件性がありそうだということをビラの配布を通して、またマスコミを前にして訴え続けた。そして彩香ちゃんの死の原因を警察がしっかり調べてくれてさえいれば、豪憲君の死はなかったかもしれないと、謎めいた発言をしていた。テレビ番組の中では、豪憲君の死体発見以来、彩香ちゃんの死にも鈴香被告が具体的にかかわっているという疑いが、しばしば露骨に語られることもあり、またその疑いを軸として番組が構成されることもあった。しかしこういった番組構成者や発言者がいつもぶつかる壁があった。それは鈴香被告がもし彩香ちゃんの死に具体的にかかわっているとしたら、警察が事故だとみているのにどうして事件の可能性を訴え続けるのか、という一点であった。警察の扱いが事故から事件へと変わると、たちまち鈴香被告が容疑者とされる危険があるからだ。自己保存をおびやかすようなことを人はわざわざやってのけるものだろうか。この疑問が鈴香犯人説の前に立ち塞がる壁であった。
しかし娘殺しの供述が真実を述べているとすれば、この壁は鈴香被告自身にとっては存在しなかったことになる。彼女は自己保存を危うくするにもかかわらず、彩香ちゃんの死の事件性を訴え続けてきたのだ。鈴香被告はいわば非合理的な自己破壊の欲望に動かされていたことになる。
彼女の事件性の訴えを合理的な自己保存によって説明しようとする人もいる。彩香ちゃんの死が事故ではなく犯罪によるものなら、犯罪被害者への補償金を手にすることができるので、鈴香被告は娘を事件の被害者に仕立て上げたかったのだろう。この説明が正しいとすれば、鈴香被告はどこまでも自己保存という合理的な欲望によって動かされている、ということになる。しかしこの動機説明には無理があるようだ。鈴香被告が犯罪被害者となるためには、彩香ちゃんの死が犯罪によるものであることが認定されていなければならず、それが認定されるためには犯人が存在しなければならず、そしてその犯人が鈴香被告自身であることが浮き上がらざるをえず、そうなれば、犯人である彼女が補償金を受け取ることができないのは明らかであるからである。しかし、と言う人もいるだろう。鈴香被告は頭が弱そうだから、そんな推論はできず、犯罪被害者になれば補償金がもらえると単純に思い込んだのだろう、と。そうだろうか。犯罪被害者となって補償金をもらうというアイディアを思いつく能力があるなら、それが不可能であることくらいは思い至りそうなものだ。
もしそこに思い至っていたなら、警察による彩香ちゃん事故死の発表に異議を唱えた鈴香被告の行動は、非合理的な自己破壊的動機によって動かされていたということになる。それは自己保存をおびやかさずにはおかないことが分かっていても、そうせざるをえないからそうした、という類の行動である。ではその非合理的な動機とは何なのか。彩香ちゃんを手にかけたことへの罪悪感のためかもしれない。事故説により自己が無視されてしまったことへの抵抗としての自己表現のためかもしれない。あるいはやがて実行しそうな豪憲君殺害を阻止してもらう願望のためかもしれない。いずれにしても、事故説への異議の提唱は彼女の頭の弱さのみならず、彼女の自己保存をおびやかす非合理的な動機からきていると考えることもできるだろう。
人間はいつも損得を計算して合理的に生きているように思われがちだ。しかし人間は時には計算の尺度を越えて非合理的に行動する。鈴香被告の場合は頭の弱さからくる短絡性が部分的に作用しているかもしれないが、自己破壊的行動を合理的説明のみで解釈することはできない。人間とはそういうものなのだ。
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