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2006/06/21

現代のヒーロー、本村洋さん

 光市事件で妻と娘の命を奪われた本村洋さんは、被告の死刑を求めて7年のあいだ運動を続けてきた。その一つは犯罪被害者当事者の会の立ち上げである。今回、最高裁の高裁への差し戻し判決で、本村さんは目標に近づいた。本村さんは被告への復讐をめざしていた。それは為すすべもなく殺されてしまった妻と娘の無念をはらすためでもあったであろうし、妻子と共にしあわせに暮らしていた彼自身の生活が破壊されたためでもあっただろう。しかしまた、人を殺した者がのうのうと生き残っているのは正義に反するという信念にも支えられていた。彼が死刑を求めたのはもちろん報復のためではあるが、その欲望は彼の正義感となんら矛盾はしなかったのだ。
 目的を達成するために、彼はマスコミの招きに応じ、自分の主張を単純明快に繰り返した。彼の倦むことのないアピールが今回の最高裁の判決に何らかの影響を与えたかどうか、誰にも分からない。7年の歳月を経るうちに未成年という条件が量刑に及ぼす効果は減少の一途をたどり、また一般的に厳罰化の傾向も強まってきた。さらには、加害者の人権への配慮が被害者遺族の感情の尊重により相対的に軽減されてきたこともある。だから今回の最高裁の判決が本村さんのめげることのないアピールによって直接影響を受けたとは考えられない。そしてまたそうあってはならないという意見もあるだろう。しかし以上に述べた判決にかかわる3つの傾向の醸成に、本村さんの運動がある程度寄与していると言えなくもないのだから、彼のアピールが最高裁の決定に全く影響をもたらさなかったとも言い切れない。

 本村さんは犯人に死を与えることで報復するというはっきりした一つの目的をもち、その目的の達成のためにできる限りの努力を傾けてきた。一方今日の私たちの多くは、はっきりした一つの目的をもつことなく、どこに努力を集中してよいか分からないままに、日々を惰性的に過ごしている。そういう私たちにとって、一つの目的をもち、迷うことなく不屈の努力を続けている本村さんは、一種のヒーローのように見えるのだ。もちろん、正義感に裏打ちされているとはいえ本村さんの目的は私的報復である。彼の敵は一介の未熟な犯罪者にすぎない。この敵もまた今の歪んだ社会が生み出した犠牲者であるかもしれないのだ。しかし私的憤怒を公的憤怒に置き換える道が今日では多くの人々に閉ざされている。公的な敵が誰であるかが分かりにくい複雑な社会の中で私たちは生きているのだ。だからこそ、本村さんは現代の一種のヒーローとなりうるのである。

 犯罪はまた別のタイプではあるが一種のヒーローを生み出した。それは松本サリン事件の被害者河野義行さんである。彼はサリンのため妻が植物状態に近いほどの重症におとしいれられただけではなく、長野県警の臆断により、しばらくのあいだ犯人と疑われて執拗な取り調べを受けた。疑いの晴れたあと、彼は長野県警の取り調べが職務上やむをえない行為であったとみなし、県警の謝罪を受け入れた。彼はまた、麻原裁判が被告の出廷がないままに打ち切られたことに対し、不満の意を表明した。真実が明らかにされないまま審議を終えるというこの決定は民主主義の原則に反する、という理由からである。彼は犯罪の被害に苦しむ病床の妻の看護を長年続けながら、それでもなお、民主主義の手続きが厳正に行われることを主張してやまない。彼は私的には犯人のみならず警察からも酷い被害をこうむったにもかかわらず、民主主義を守るという公的な立場を貫いている。この人もまた現代の一種のヒーローであるとみなす人々も多いだろう。

 犯罪はある意味では対極にあるような2人のヒーローを生み出した。拙者は本村さんに共感を禁じえないが、同時にまた河野さんにも共感してしまうのである。

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2006/06/01

都教委が犯罪を創出

 都立板橋高校の元教諭が04年に卒業式で、国家斉唱の際着席のままでいることを保護者に向けて求めた。教頭が制止すると「触るな」と怒鳴り、校長の退場要求にも従わなかった。そのため開式が約2分遅れた。都教委などの被害届を受けた裁判所は20万円の罰金刑を言い渡した。
 何度も指摘されてきた通り、日の丸・君が代は強制しないというのが国会での政府の答弁であったにもかかわらず、都教委は全国の先頭を切ってその強制を行なった。このハリキリぶりが多くの教職員の行政処分を生み出しただけではなく、ついには間接的であるにせよ刑事処分をも生み出したのである。もともとこうした上からの強制自体が教育の場に似つかわしくないのだが、それがきっかけとなってとうとう刑事処分をもたらしてしまった。刑事処分となると、ますます教育の場になじまない。都教委の度を超したハリキリぶりがこうした良識に反する結果を招いてしまったのだ。判決理由の威力業務妨害の罪とは、この元教諭の行為からおよそかけ離れたイメージを与える。保護者へのアピール、「触るな」という怒声(声だけである)、それにたった2分の開式の遅延。これしきのことが刑罰の対象となったのだ。裁判所はさすがに検察の懲役の求刑を却け罰金刑とした。懲役の求刑とは狂気の沙汰である。それにしても刑罰は刑罰だ。無罪の判決が出て当然だった。
 都教委のハリキリぶりは異常であり、とうとう一介の元教諭を犯罪者にまで仕立て上げてしまった。狂信者のような米長将棋連盟会長、羨望・嫉妬だけのドロドロ劇作家内館、といった面々の風貌が眼前に浮かんでくる。大げさな言い方かもしれないが、これらのインテリ中間層は新しい形のファシズムの尖兵となり兼ねないのだ。

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