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2006/05/12

愛国者が威張った時代

 今から60年と少し前、拙者はある会社に就職しようとしてその会社が指定する医院で健康診断を受けた。30代と思える医師が痩身の拙者をみて、「だらしない生活を送っていることはこのからだを見ただけで分かる。これでは軍隊に入ってもお国の役に立てないぞ。もっとからだを鍛えろ」と、健康診断ならぬ人格診断を行った。拙者は格別だらしない生活を送っていたわけではない。骨細でひ弱な体格は、幼少期以来だ。この時期に母親が甘いおやつを制限なしに与えたので、ひょろひょろになってしまったのだ、と彼女は述懐していた。そのせいで骨細になったのかどうか、本当のところは分からない。いずれにせよ、成年に達した頃になっていくら鍛錬しても、筋肉がつくだけで骨が頑丈になるとは考えにくい。そこで、このひょろ長い体格をすべてだらしない生活のせいにして、拙者を蔑視し、非難する医師に憤りを覚えた。それだけではなく、立派なからだを作るのが本人のためではなくお国のためである、という彼の価値観も納得できなかった。さらにそのうえ、医院からの帰途、この医師の理不尽な「診断」に対し、ひと言も言い返せなかった自分自身にも腹を立てていた。
 お国のためにからだを鍛えておけと言うことは、極言すれば戦死するためにからだを鍛えておけと言うことなのだ。ところで当時は医者はめったに召集されることなく、またたとえ召集されても戦場で死ぬことはなかったのである。当時はこの医師のように自分は死なないのに若者に死ねと言う人がかなりいた。学校の教師たち、村や町の自治組織のリーダーなど。もちろん、かなりいたと言っても、人口100人のうち数名程度にすぎないのだが、それでも他の人々の多くが彼らに同調するか、同調しないまでも反対はしないという構成であったから、「お国のために死ね」と言われる側が受ける重圧はかなりのものだったのだ。この重圧のゆえに愛国者が威張っている、という印象が広がっていたのである。いろんな人がいろんな場で、入れ替わり立ち替わって愛国者の役割を演じた。そして、この愛国者たちの大部分は戦場で死ななくても済む人たちだったのだ。

 愛国心の涵養を教育の目的の一つとして教育基本法改正案に盛り込んでいる人たちは、はっきり意識しているかどうかは別として、究極においてはお国のために喜んで死ねる人間の形成をめざしているのだ。ところでこういう人たちは、他人に対してはお国への奉仕を要求しながら、自分たちは結構私利私欲を追求して恥じるところのない人たちなのである。そして仮に不幸にして戦争が起こった時、彼らは安全な場所にいながら若者たちに対してお国のために死ねと言う人たちであると、拙者は確信している。
 人間は何のために生きているのか。この問に答えることはむつかしい。そもそも「何かのため」にという問そのものが意味をもつかどうかさえ怪しい。それなのに「お国のために死ね」と言う人たちがかつていっぱいいたし、今も潜在的にはいる。しかし仮に人間は何かのために生きているとしても、お国はその中の一つに過ぎないのだ。それ以外の目的は沢山ある。それなのに愛国心教育はお国以外の何かのために生きようとする人々に対して、お国を優先せよと強制する圧力を生み出す危険性をはらんでいるのだ。
 お国を大事にせよという教育は、他国を侵略し、自国民の自由を弾圧する酷い結果の一因となった。もうこりごりだ。

 また私事に話は移るが、お国のためにからだを鍛えたかどうかは別として体格のよい若者たちは、戦場で数多く死んでゆき、医師に罵倒されたひ弱な拙者は生き残った。そのひ弱さのゆえに徴兵検査では召集がくるのがおそい第3乙種と判定されたためである。お国のためにからだを鍛えた若者がいたとすれば、彼はその立派な体格のゆえに若死にしたのだ。一方「お国のために死ね」と煽った人たちのほとんどは無事に生き残った。彼らは結構「自分のために生き」ていたからである。

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コメント

 筆者の意見に同感です。愛国心というのは権力と富を握っている少数の層が自分たちに都合のよい体制を維持するために、多数の力無き市民を労働使役にかりたてさせる魔法のようなものだと思います。義務感で市民を縛り、愛国心というレトリックで自己犠牲を強いる、そして権力層は全く自らを痛めることなく多くの市民の犠牲の上でのうのうとしている訳です。今までの歴史でもそれは繰り返されてきました。日本でもつい60年前までその世界が確立されていました。

 ようやく戦後民主主義が根付こうとしてきたのに、またぞろこのタチの悪い「愛国心」を復活させようと国は企んでいます。明確に戦争をできる国づくりのための下地であることは間違い有りません。直接戦争をすぐに始めたいということでないにしろ、アメリカの子分として代理出張戦争を近い将来できるようにしていきたいのでしょう。そのために、国に盲従する市民づくりが必要なのです。

 私の亡父は1923年に朝鮮で生まれてます。血は朝鮮人でしたが、国籍は日本でした。ご存じの通り1910年の日本による侵略開始以後朝鮮は日本でしたから。名前だけ日本人ということにされ、言葉を奪われ土地を奪われ生活を蹂躙され、なおかつ天皇の赤子とかで日本に忠誠を誓わされたのです。差別蔑視を色濃く残したままで二等三等国民などと蔑まれました。1945年の朝鮮解放までそれは続きました。父は22才の青年になるまでこの状況を堪え忍んでいった訳です。幼少時に口減らしのため家を出て生き残るがためだけの戦いをしながら各地を放浪した父の日本に対する敵意はすさまじいものがありました。ところが同時に、この日本で生きる内に日本の親しい友も獲得していました。

 愛国心などという人格を確立するのに全く重要性のないまがいもの概念など全く必要がありません。私はバイトで金を貯めたあと、26才の頃約1年にわたってロンドンに住み、1ヶ月かけてヨーロッパをバックパック旅行したことがあります。自分なりに国というもの、日本というもの、民族というものを実感したかったからです。その時の結論は、国や民族というものは全く重要な意味をもたない、重要なものは個人の人格であって、国や民族という属性はなんら人と人との交流において大きなな意味を持たない、という単純明快な感覚でした。非常に大きな意義深い体験でしたね。

 作田さんの体験にも裏付けられているように、国は国の都合で市民をコントロールしようとします。国旗国家法成立の際にも決して強制はしないと約束していたにもかかわらず、教師の思想の自由を奪い、踏み絵として活用しています。今回、教育基本法を改悪して文言で愛国心という概念を表舞台に立たせようとしていますが、兵隊づくり戦争のできる国づくりのための足がかり以外の何物でもありません。愛国心などいらない。せいぜい愛郷心くらいで充分でしょう。私は在日韓国人ですが、日本をふるさととして愛しています。風土も気候も食事にも親しみを持っています。日本の友も数多いです。愛国心という化け物のためにこの友から引き裂かれるのはまっぴらですね。

投稿: 申榮逸 | 2006/05/13 09:11

 その時代の愛国者の定義がお国のために死ぬことであるならば、偉いのは死ぬ若者たちであってこのエントリで批判されている死ななくて済む人々ではないはずです。
 ですから、このエントリのタイトルはもちろんアイロニーでしょうけれども、若死にした人々に一定の評価があっても良いはずだと私個人は考えます。
 日本を圧倒したアメリカは、当時も今も死にうる愛国者に対して相当の敬意を払っていると思いますね。死なない立場での威張った愛国者がいないとは言いませんが。

 骨については成人後も食生活で相当変わると聞きます。お年を召してからの骨粗鬆症も問題になっていますのでご自愛ください。

投稿: hamanako1 | 2006/05/16 15:46

9・11の頃、課長を主人公にしたサラリーマン漫画でブレイクした団塊世代のご意見番漫画家氏は、やたらと自衛隊に「行け行け!」と煽っていましたが、当人は平和な日本で漫画を描きながらワインの蘊蓄や団塊世代の老後などを語っておりました。(湾岸戦争当時からかな)
噂では高貴な方の園遊会なぞに招待されるのを心待ちにしてるとか…。
彼も多分「愛国者」なのでしょう。

アメリカで若死にする者がどれだけ「評価」されようとも、だから偉いとはとんだ倒錯した意見であって、その「死」に直面した当人の「恐怖」と「生への執着」がどれだけだったのか、今の私たちには想像だにできません。
そして人生を全うできなかった人間よりも「煽った」人間の方が、後々生きたいように生き、やりたいようにやれ、それなりの人生を謳歌したという事実をどこかへ隠して、死んだ(国家の名の下に殺された)若者へ「偉い」などというのは、どう考えたって「評価」という言葉は似合わず、却って「侮辱」そのものではないかと思うのです。
それは時代という制約以前の問題でありましょう。当時ですらそれら国家のやり方を批判していた人間がいたことを反証として…。

投稿: 農本主義社 | 2006/05/16 20:58

 はじめまして、こんばんわ。
ご意見、同感です。
ぼくの父はこの前の戦争で、二度に亘り応召しましたが、最初は身体が小さいと言うことで、二度目はもう戦争末期で地元の飛行機製造工場の人手が不足してしまったという理由で、工場動員の内地勤務にされたために敗戦、除隊まで家から20キロも離れていない所で兵役を終えることが出来たのだそうです。

 しかし、4人の子供たちと義母を抱えて家の遣り繰りをした母は時々戦後生まれの幼いぼくに“戦争で良い思いは何にも無かったよ”と言っていました。
 近所にはやたらと戦時の思い出や、従軍話を自慢するジイちゃんたちも居ましたが、父はぼくには戦争の話は全くしませんでした。
ぼくは幼いながら、「もしかしたら、父は前線へ出征しなかった事で、兵士として不完全な立場に置かれていたのではないか、それを戦後の地域の暮らしの中でも引きずっているのではないか、、?」と言うようなことを感じていました。

 戦場で殺したり死んだりしなかったことは父の時代の人間にとっては運が良いことだったのに、それを素直に享受できない感情を何十年も後まで残した。 と言うだけでも、『戦争と、戦争教育が人間の普通の思考を破壊してしまう』ものだと理解できると思います。
 まして、そういう戦時思考に異を唱えることが許されないような新たな状況が迫って来ていると思うとき、いま、ぼくたちは何をしたらよいのでしょう。
自分の無力は承知の上で、せめて『共謀罪・新設』や 『教育基本法・改定作業』や、『国民投票法案』などの、憲法改悪に対して、叶う限りの方法で反対の意思を表し続けて生きたい、と考えているところです。

投稿: ナイトトレイン | 2006/05/17 20:30

日本国憲法連合というブログを運営しているものです。
私は愛国心について拒絶感をもっています。それは、
激高老人のブログさんのおっしゃることに同感するからです。
愛国心をわめき散らかす奴らが、どういう「階層」でどういう
階級で、どういう人たちなのかは、歴史的にはっきりしております。日本帝国主義の侵略戦争を鼓舞したやつらの子や孫がそのまま、現代日本帝国主義の権力そのものを世襲している。これが事実でありすべてだと私は考えます。そしてこういう「階級」が、戦前を美化したくてたまらないわけなのです。麻生や安部らが絶叫するのは、まさに自分らの親たちを美化したいわけなのです。侵略戦争ではないといいたいのは、彼らの両親が批判されていると実感する現われなんでしょう。そしてこれらに連なる反動連中もたいていその子弟です。他方でわれわれ庶民の両親は愛国心で戦争に動員された人々ということになります。むしろそちらが国民の多数であったりするのです。だからこそ、私たちは愛国心を強制したり侵略戦争を美化するものに対して拒絶感をもちのです。また、軍国主義や戦争を反省したり批判するみせかけしつつ、「健全なナショナリズムにそった愛国心」を扇動する連中がいることにも警戒をしなければならないと思います。あくまでも、国家帰属意識を植え付けさせることには反対を掲げたいものです。

投稿: 日本国憲法擁護連合 | 2006/05/30 08:35

以下 訂正いたします。すいません。

だからこそ、私たちは愛国心を強制したり侵略戦争を美化するものに対して拒絶感をもつのです。また、軍国主義や戦争を反省したり批判するとみせかけ、「健全なナショナリズムにそった愛国心」を扇動する連中がいることにも警戒をしなければならないと思います。あくまでも、国家帰属意識を植え付けさせることには反対を掲げたいものです

投稿: 日本国憲法擁護連合 | 2006/05/30 08:38

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