殺人か傷害致死か
光市の母子殺人事件を審理する最高裁で、弁護士が一度欠席したあと、今度は出てきて、この事件は殺人ではなく傷害致死だと、訴因をひっくり返す立場を主張した。たいした理由もなしに欠席し、審議を引き延ばしたあとの結論がこれである。この弁護士の言う通りなら、完璧な殺人はごくまれにしか起こらないだろう。たとえば最後にとどめを刺す、といった場合である。相手が死ぬ確率が非常に高いことを知りながら首を絞める行為が殺人でないとすれば、殺人罪はよほどの場合でない限り適用できない。ふつう私たちは傷害致死というと、たとえば被告が人を殴って、その人が病院に送られたあと、しばらくして死んだ、といった場合を念頭に浮かべる。この種の場合と今回の場合との距離は大き過ぎる。今回の場合、かりに傷害致死だとしても、それは限りなく殺人に近い。殺人と認定されても、誤差はほとんどゼロである。とりわけ、動かなくなった母を求めて泣く赤ん坊を黙らせるため、首に紐を蝶々結びに巻いたと言っているそうだが、泣き声が聞こえないようにするためだけなら、押し入れかなんかに入れておけば済むことではないか。首を絞めたのは死ぬ確率が極めて高いことを知りつつやったとしか思えない。
弁護士は被告に会って彼に殺意がなかったことを知り、彼の言う通りに母親の首の絞め方はこうだったと図示して見せたが、どうしてそれを立証できるのか。こんないい加減なことを聞き出すために法廷を欠席して時間かせぎをしたのだ。これを大発見であるかのようにしゃべっているこの弁護士の賢ぶっている表情を見ていると、この人は誠実から程遠い人物のように思える。審議をおくらせるための策戦を練ってきたとしか思えない。聞けばこの人は死刑反対論者だそうだ。それは結構なことだが、こうしたやり口と冷たそうな表情を見せつけられると、死刑制度に反対である人も、反対の気持ちに水をさされてしまうだろう。そしてそれと同時に自分の所業を棚に上げて、助かりたい一心でこの弁護士に頼っている被告に対しても嫌悪の情が増すばかりだろう。これが逆効果というものだ。
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