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2006/03/02

皇室の双系化、心配ご無用

 秋篠宮妃ご懐妊の情報が公開されたことがきっかけになり、自民党内に皇室典範の改正案作成先送りを求める議論が高まった。この議論の高まりは皇室の存続にとり父系制の維持が、不可欠であるとは言えないまでも極めて重要である、という意見にもとづいていると思われる。
 この意見は天皇の地位は父系により継承されてきたのだから、その伝統は維持されるべきであり、そうでないと天皇の威信が低下するのではないか、という懸念を表しているようである。しかし国民のどれくらいの部分が皇室の父系制にこだわっているのだろうか。それにこだわるのは少数ではなかろうか。皇室が存続すればよいと思っているのはそれのかなりの部分であろう。だがその存続が父系であろうとなかろうと、そんなことはたいしたことではない、と思っているのが、どちらかといえば多数ではなかろうか。そう推測してよい根拠は、今日の国民のあいだでは、父系の長子相続を数世代にわたり維持している家族はほとんどなくなっているという事実にある。しかしもちろん母系家族がふえたわけでもない。圧倒的にふえているのは、父系の血縁も母系の血縁も共に血縁と認める双系家族なのである。したがって父系の皇室を家族の望ましいモデルとする意識は国民のあいだにはもはや存在しない。だから皇室はどうしても父系でなくてはならず、そうでなければ皇室の威信はなくなるといったイデオロギーは、国民の生活の現実からあまりにも浮き上がっているので、それの信奉者はむしろ少数派であろう。
 古くから近代にいたるまで家族を含む親族の範囲を父系によって限定する仮構が最も広く広がってきたことは事実だ。それを母系によって限定する仮構を採用する社会もなくはなかったが、それは少数であった。いずれにせよこうした仮構により親族の範囲がとめどもなく広がることが防止されたのである。この仮構は何かを何かから区別することで混沌を整序しようとする象徴作用の1つの代表的ケースであると言えよう。象徴作用は人間の本質的な属性なので、その限り、親族をめぐる仮構から人間が免れることはむつかしい。父系の仮構は血縁関係の中の母系の部分をその関係から象徴的に外部へと排除した。すべての象徴作用は必ず排除を伴うので、母系を排除する仮構はこの象徴作用の一例である。しかしこの母系の排除は排除された部分を婚姻によって包摂するためのものでもあるのだ。この排除と包摂の反復が父系親族の外婚制のルールを支配する原理であった。一般化すれば、象徴作用は排除するだけではなく包摂することで、混沌の中から秩序を形成したのだ。たとえば男女の区別が同時に両性の相互牽引をもたらすのである。
 近代化が進行すると、巨大化した社会の中で父系親族集団をはじめ、多くの中間集団は自立性を失って解体してゆく。こうした社会の中では血縁関係を限定する系譜は問題にならなくなってしまう。なぜならここでは自立した中間集団一般が必要ではなくなるからだ。こうして父系家族に代わり双系家族が一般的となる。しかし血縁関係そのものが価値を失ったわけではない。それは自他を区別する1つの象徴として存続している。この象徴をさらに限定する系譜という二次的な象徴が価値を失っただけなのだ。
 こうした家族の現状に照らしてみると、父系の皇室を家族の望ましいモデルとする意識は国民のあいだにはもはや存在しない、と見てよかろう。天皇の地位の相続は父系であろうとなかろうと、血縁関係によって支えられていればそれでよいのだ。だから皇室が双系制となっても、その威信を失うことはないはずである。だから女帝が出現することがあっても心配は要らない。
 ここから話は変わるが、もし皇室典範が改正され、愛子さまが女帝になるという未来を想像すると、拙者個人としてはまことにお気の毒という感が起こってくる。秋篠宮が跡を継ぐとなると、お気の毒という感は全くしない。この人はタフな(傷つきにくい)性格であるように拙者には見えるからだ。ついでに言えば紀子妃もまたすごくタフに見える。拙者は皇太子夫妻がデリケートな心性の持ち主に見え、弟夫婦よりもずっと好きだ。このデリケートな人たちの愛娘が、天皇という辛い地位に就くのは気の毒に思えて仕方がない。だが俗気の強いタフな人が天皇になると、内閣総理大臣と区別がつきにくくなるのも困る。これはディレンマだ。しかしこの種の二者択一の状況が天皇制の存続を求める国民に課せられていると仮定すれば、その大部分は脆弱ではあるけれども俗気のない人格のほうが天皇にふさわしい、という選択を行うような気がする。これは拙者の希望的観測だろうか。

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