今日この頃のテレビ上の人物
「・・・今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか」。これはきっこがブログのパラグラフを閉じる時の決まり文句である。「・・・今日この頃である」はかなり昔、ある新聞の読者欄「ひととき」で何遍も登場した主婦が、その文を閉じる時の決まり文句であった。その投稿内容はいつも身辺の日常的な出来事を語る随筆で、この言葉で終わるのにふさわしいものであったが、きっこの場合はいわゆる随筆からほど遠い内容のものが少なくない。彼女の政治の裏がらみのテーマに関する情報はその斬新さで週刊誌の水準をはるかに越えている。このブログへのアクセス数が圧倒的に多いのはそのためだろう。とりわけライブドア元幹部野口氏の死は謎めいているので、多くの読者が首を長くして彼女の新しい情報を待ち望んでいる。拙者もその一人だ。その死をめぐる民主党原口議員の議会での追及に対し、警察庁刑事局長と国家公安委員長とが自殺で片づけてしまいたいという姿勢を示しているだけに(この質疑応答もきっこのブログで初めて知った)、一層その謎を解明する情報が待望される。
「今日この頃」の注釈が思いがけず長くなってしまった。さて本題「テレビ上の人物」に入るが、これらは大して長くはならないだろう。
例のタイゾー議員が委員会をさぼって小泉首相に婚約の報告に赴いた。相手が忙しい人だから相手の都合に合わせて委員会のほうを欠席したのだろう。しかしそれほど婚約の報告を急ぐ必要があったのだろうか。それはともかく記者を前にしたタイゾーの応答は「大好きで 〔一拍〕 大好きで 〔一拍〕 ・・・」で始まった。この言葉と言葉とのあいだに一拍を置くしゃべり方は小泉首相そっくりである。人は敬愛する人物のしぐさやしゃべり方を知らず知らずのうちに模倣する。拙者はある小説の中でコーヒーを飲む時の友人のカップの持ち方、口もとへの運び方をまねる主人公のしぐさについて書かれた箇所を思い出す。この主人公は敬愛する友人をまねていたのだ。タイゾーのしゃべり方を聞いた時、拙者は小泉首相への敬愛が並々なものではないと感じた。彼は本当の意味で小泉チルドレンの中の真正のチャイルドであることには間違いない。もちろん拙者にはどうして彼をそんなに敬愛するのかはよく分からないのだが。
将棋のNHK杯で丸山九段が渡辺竜王を破って優勝した。なかなかの接戦であった。ところでそこに解説者として登場したのは将棋連盟会長の米長氏である。優勝戦なのでこの大物が解説者に選ばれたのだろうか。この人の姿を見かけたのは例の園遊会以来である。前に書いたが、彼は天皇に向かい、学校の儀式での日の丸掲揚、国歌斉唱を全国にひろめますと、胸を張って発言した。その時天皇は「強制はいけませんよ」と彼のハリキリぶりをたしなめるかのような応答を行ったが、彼はその後ずっと東京都教育委員会のメンバーの一人として国歌の斉唱に加わらない教員を処罰し続ける立場を取っている。園遊会の時は寸時のスナップだったが、今度テレビ番組で見ると、じつに堂々とした体格で、ヤケに胸を張ってそり返っていた。昔の現役時代はもう少しほっそりしていたように記憶していたのだが。この人の勇姿を見ると、アメリカ海兵隊の退役大佐を連想してしまう。映画『アメリカン・ビューティー』に出てくるファシストの元大佐とイメージがダブってしまうのである。
「世界野球」で日本が優勝した。二次リーグで奇跡的に生き残ったのだから、ツキもあったと思う。この大会をつうじて今まで拙者がいだいていたイチローのイメージがかなり変わった。渡米した頃はこの人はいわば野球道をひたすら究めようとするストイックな求道者に見えた。ただ最多安打の記録を達成した頃から、外部の目を意識した気取りが求道者らしからぬ不純なイメージをもたらしてはいた。だが集団へのかかわりにはあまり関心のない人物であるように思っていた。ところが今回の大会ではひたすら日本チームの勝利をめざす集団主義者のイメージが目立った。韓国チームに二度目に負けた時、彼は激怒し、「僕の野球人生で最も屈辱的な日」と言ったりした。この集団心の爆発に共感をいだいた人も多いだろうが、拙者はついてゆけなかった。その姿は求道者のイメージから遠く離れているからである。もちろん集団で闘う野球選手は独りで闘う宮本武蔵のような剣士と同じようには闘えないだろう。しかしそれにしても、今回のイチローの集団への没入ぶりは、拙者をいささか驚かせ、がっかりさせもしたのである。
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