麻生外相小児的に威張る
お坊ちゃんが「僕のパパはお金持ちなんだよ、外車も持っているよ、軽井沢には別荘があるんだよ」などと、相手構わず威張っている。麻生外相の近頃の発言を聞くと、このお坊ちゃんのイメージが浮かんでくる。ただ、この麻生坊やは、毛並みがよいと言われている割には品が悪く、年を食っているのでずる賢い。
麻生外相は最近福岡で講演した際、日本政府は植民地台湾で義務教育を持ち込んだため、この国は極めて教育水準が高く、今の時代に追いついている、と自慢した。台湾を「国」と言ったので、中国の新華社通信がすぐに批判した。また中国外務省報道局長も、台湾の植民地化が中国人民に深刻な災難をもたらした歴史を歪曲している、と非難した。事実、台湾の植民地統治はそんなにスムーズに進行したわけではなかった。平地では「漢民族」の武力蜂起、山地では「蕃族」と呼ばれた原住民の頑強な抵抗があった。日本による統治の安定は、これらの勢力を制圧し討伐した長年にわたる軍事作戦の結果なのである。日本の統治は善いことずくめではなかったのだ。統治の一面であるこうした暗い部分に麻生外相はもちろん言及しない。この部分について知らなかったのかもしれないし、知っていても植民地統治にはありがちな取るに足らない部分と思っていたのかもしれないし、こうした講演の場で語るにはふさわしくないと思っただけかもしれない。いずれにしても、この軍事作戦により被害を受けた人々の側に立てば、暗い部分を無視して善政の面だけを自慢する麻生発言に腹が立つのは当然であろう。付け加えれば、この軍事作戦での日本側の戦没者はもちろん靖国に祀られているのである。
福岡でのこの発言には韓国政府への当てつけが隠されているように感じられる。朝鮮人の創氏改名は自発的だったと日本の統治をバラ色に染めた麻生外相にとって、今の韓国政府はその統治の暗い部分だけを掘り返し、かつての恩恵への感謝を忘れている、と言いたげなのだ。小児は自己中心的で他者の目に自分がどう映っているかに気づかない。麻生外相は中韓の批判的な視線に気づかないわけではないが、侵略し支配したこれらの国民が過去と現在の日本政府に刃向かっていることに立腹しているのである。外相が、首相の靖国参拝に文句をつけるのは中韓だけだ、と一方的に非難する(首相自らも衆院予算委員会で同じことを言っている)のも、この小児的自己中心性の表れである。
前回にも触れたが、麻生外相は、日本軍人は天皇陛下万歳と言って戦死したのだから、天皇陛下が靖国に参拝するのが望ましい、などとまたもやお騒がせ発言をおこなった。しかし天皇陛下万歳と言って死んでいった日本軍人がはたしてどれくらいいたのだろうか。拙者は戦場体験のある人を幾人かは知っているが、そういう話を一度も聞いたことはない。拙者が知っているのは「天皇陛下万歳と/残した声が忘らりょか」という『露営の歌』の一節のみである。しかし拙者個人の経験は極めて限られたものだから、実際にそう言って死んだ人もいたことだろう。だがそれは少数派と言ってよいほどの数ではなかったか。実際、日本軍人の戦死の大半は、前線への補給が絶たれた太平洋戦争の末期に集中しており、死因の多くは飢えと病いであった。飢えと病いで倒れた兵士などが、天皇陛下万歳と唱えて死んでいったとはなかなか想像しにくい。かりにそう言って死んでいった人々がいたとしても、ほかに適当な言葉がなかったためではないか。お母さんと言って死んでいった兵士たちが多かったという説もある。いずれにしても、日本軍人が一般に天皇陛下万歳と唱えて戦死したというのは事実というよりもむしろ神話だろう。
麻生外相自身が戦死者と本当に同一化しているかどうかは疑わしい。他人の身になれるような人とはとても見えないからである。自己中心的な小児は他人の痛みはわからないのだ。だから彼が戦死者の身になって天皇に靖国に来てほしいと本当に願っているとは思いにくいのである。
麻生外相は天皇の靖国参拝の実現をめざして運動するつもりはない、と言っている。だからそれは単なるお騒がせ発言なのだ。しかし底意はある。首相の靖国参拝に対しての中韓の外交面での反応に腹を立てているのだ。麻生外相自身も韓国の外相には会えたが、中国の外交責任者には会えるにいたっていない。だがそれは自分たちの蒔いた種でもある。
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