軍隊体験と靖国参拝
読売新聞グループ会長の渡辺恒雄氏は最近テレビや雑誌で小泉首相の靖国参拝をきびしく批判している。彼は新兵として入隊し、上位者から理不尽な虐待を受けた。こんな軍隊を動かし戦争を始めた一部のA級戦犯が、靖国に祀られている。こうした神社に首相は参拝すべきではない。これ以外のことを彼は語っているかもしれないが、この発言には拙者は全く同感である。
拙者も召集されて短期間ではあるが山口の連隊にとどまり、たいした理由もなく罵倒されたり殴られたりした体験から、ナベツネ氏の言うことはよく分かる。戦後読んだ野間宏の『真空地帯』ほどではなかったが、新兵いじめはかなり酷いものだった。2ヵ月ほどして痔を悪くし、陸軍病院に入院したが、そこでも同室の古参上等兵に彼が彫っていた太い竹で、たいした理由もなしに頭を殴られ脳天がしびれたことは一度や二度ではない。拙者だけではなく他の新兵たちも同様であった。
彼は中国の戦線で民家に押し入り略奪を繰り返していたことを得意気に語っていた。殴っているこの痩せた小男の目は殺気を帯びているかのようにギラギラしていた。同じ病室にいた野戦帰りは曹長が一人、伍長が一人であった。彼らは温和で、戦場のことは一切口にしたことがなかった。しかし彼らは古参上等兵の新兵への暴行をたしなめようとはしなかった。上位者の下位者に対する制裁はよほどのことがない限り制御されないのが、日本軍隊の慣行であった。
ギラギラした目の上等兵は、この病室でと同じように中国大陸でも虐待を行っていたことだろう。被占領地の民衆は自国軍隊内の新兵よりもさらに下位に属しているので、病室内よりももっと酷いことをしていたことだろう。そして温和な下士官や士官がいたとしても、彼らは部下の暴虐を制止はしなかっただろう。病室を例に取ったので兵だけが加虐行為に傾くような書き方をしたが、実際には下士官の中にも、また士官の中においてさえも、戦場で弱い者いじめの蛮行を楽しむ人たちは少なくなかっただろう。
靖国神社内の遊就館は戦争によってかつての西欧の植民地が解放されたとうたっているそうである。しかし中国を解放しようとした(と言われる)戦争で中国の民衆が日本軍隊によって酷い目に遭っている事実は、植民地解放の理念と全く矛盾している。その他の地域でも日本の軍隊による旧植民地の統治は、住民から十分な支持を得ていたとはとても思えない。弱い者いじめが得意な日本軍隊は、いや日本人のかなりの部分さえもが、異民族の統治には向いていないのだ。西欧による植民地化は日本の異民族統治よりももっと酷いものであった、と言う人もいる。また日本軍隊での新兵いじめに関しても、およそ軍隊なるものはどこの国でもそういうものなのだ、と言う人もいるだろう。拙者はそういう自他の比較をするデータを持ち合わせていないので、この種の意見に実証をもって抗弁することはできない。しかし他国がどうであったとしても、弱い者いじめが得意な日本の軍隊による占領をもって始まる異民族統治が、過酷なものになることは疑いえない。
拙者は軍隊で日本が戦争に負けたのを知った時、本当によかったと思った。かりに戦争に勝ったとしたら、日本の軍国主義体制は国内で存続するだけではなく、日本に支配される諸民族にも及び彼らは酷い目に遭うことになっただろう。「お前、そんなに嬉しいか」と軍国主義にハマっている一下士官は、拙者の心底を見透かして憎悪のまなざしを向けた。
ナベツネ氏は小泉首相が靖国参拝するのは戦争を知らないからだ、と言っていた。特攻隊員の心情を想像して落涙する首相は戦争の限られた一面に陶酔しているだけなのだ。彼は戦争のもつ地獄のような部分に無知なのである。あるいは見て見ぬふりをしているのである。首相の尻馬に乗って天皇陛下も靖国へ行くのが望ましいという趣旨の発言をした麻生外相にいたっては、これはもう正気の沙汰とは思えない。中韓を挑発することで、どれだけの外交上のメリットがあると言うのか。マイナスばかりだ。だとすればこの発言の底意は何か。国民の中の右翼的な部分からのウケを狙ったものとしか思えない。だがその代価はあまりに高くつくので、この発言は正気の沙汰とは思えないのだ。
拙者が入営したのは今から61年前の1月27日であった。雪が舞い、寒い日であった。拙者は兵営の外で見送ってくれた母の姿を見、これでこの地獄から生きて出られることはなかろう、と思った。
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