八つ当たりテレビ・ウォッチング
12月10日から寒くなりはじめ、12日にははやくもピークに達した。例年より1ヵ月はやい。居室を一歩出ると、隙間風が古い家屋に入り込む。ぐいぐい引っ張る犬のリードを握る手は凍りそう。1ヵ月損をした。どうしてくれるのだ。気象台や予報士にまで八つ当たりしたくなる。NHKの高田予報士の頭、あれは何だ。ベレー帽を後頭部にそらせてかぶっている感じだが、カツラではないのか(ちがっていたらご免なさい)。カツラが悪いわけではない。しっかりかぶれと言いたいのだ。姉歯元建築士のカツラは様になっているぞ。高田予報士のいかにも職業的なイントネーションが気にくわぬ。「気温です」と「で」にアクセントを置くのがいかにも得意げに聞こえる。天候の予報はだいたい当たるのに、気温のほうは外れが多い。気温0度でこちらはふるえているのに、得意げに発音するな。
それにしても(これは話題を変える時の筑紫哲也キャスターの常套句)。この頃のテレビ番組では食い物の話が多過ぎはしないか。温泉宿や都会のレストランや料亭、さらにはラーメン屋等で俳優などが「これは絶妙」などと、表情を作っている。そのほかいろいろの食い物番組がある。食欲は万人に共通なので、こうした番組の視聴率は安定しているのかもしれないが、各社そろっての食い物ショーとは知恵がなさ過ぎる。食い物番組ではないが、CMでも食い物が目立つ。香取慎吾が得意の大口をあけてギョーザを食っている場面があったが、これを見ていると、食も一つの文化だ、などとはとても思えなくなる。むかし作家の稲垣足穂が宇治に住んでいた頃、人前での食事をいとい、時には押し入れに首を突っ込んでこそこそ食べていたことがあった。本能をさらすのは恥だという美意識からである。今の人たちから見ると変わっているとしか思えないだろうが、拙者には共感する面がある。食欲は人間に共通なので、食を媒介にして社交文化が成立するから、隠れて独食することだけが、醜を避ける手段であるとは思わないが、ひとり大口にギョーザをほうり込んでいる香取を見せつけられると、これはもう醜悪としか思えない。
この人はまた何かの番組で司会役みたいなことをやっているが、たまたま黒澤明のことが話題になった時、全然見ていない、と語った。それで、太田光が黒澤作品について彼にいろいろ教えてやっていた。ところが、それに対する相づちが間が抜けていて、とても司会役が務まる柄ではないことが露呈した。時には俳優をやることもあって「アーティスト」と呼ばれることのある人が、黒澤作品を見ていないとは? ただ人気があるということだけでこの人をいろいろのところに起用するプロデューサーがどうかしている。香取は黒澤を知らないことをなんら恥じてはいないのだ。彼は自分の無知に傷つくことのない逆スノッブというスノッブである。つまり厚顔無恥なのだ。
そういえば、この頃は厚顔無恥が結構売り物になる。たかじんの番組に出演して以来、他の番組からも声がかかるようになった橋下弁護士もその一人だ。この人はいつも強い者の味方である。この人はA級戦犯よりもB級戦犯のほうが真の犯罪者だ、と言っていた。BC級戦犯の実態を少しでも知っていればそんなことは言えないはずなのに、何も知らないのに知ったかぶりをするところが厚顔無恥である。たとえば、捕虜となったアメリカ兵を順番に銃剣で突くように上官に命じられた下級兵士が、すでにもう死んでいる捕虜を突き、BC級戦犯として死刑になった。上官の命令さえなければ彼はそんなことはしなかっただろう。命令した上官の上にはさらにその上の上官があり、究極には捕虜を殺してもよいと考えていた軍の首脳にいたる。捕虜になるくらいなら死ねと自軍に命令した首脳にとって、敵軍の捕虜は当然殺されるべき存在だった。そういう背景のもとでBC級戦犯が現れたのだ。実際に手を下したBC級戦犯が真の犯罪者で、手を下すよう、いろいろの回路を経て命令したA級戦犯が無罪などと、とうして言えるのか。こんな人が弁護士をやっているのが不思議である。
会議中、隣の中国の首相に毛筆ペンを借りた小泉首相のパフォーマンスも記憶に残った。首相は得意の薄ら笑いを浮かべていた。本人は親愛の気持ちをこめて笑みを浮かべたのかもしれないが、この人が笑うと酷薄な感じが漂う。彼はこの頃「靖国はカードにならない」とたびたび言っている。靖国は政治の次元に属さないから、それを政治的取り引きに際してのマイナスのハンディキャップとは思わない、という意を語っているのだろう。だが相手のほうは靖国をマイナスのカードにするつもりはなく、ただそれに原理的に反対しているだけのことだとすれば、「カードにならない」とはいわば下種の勘ぐりのたぐいである。靖国は自分の信条の問題だと言っているのに、相手にとってもアンチ靖国が信条の問題であるかもしれない、などと考えたこともないようである。厚顔というほかはない。
清とノリがオリックスに入団する。彼らの記者会見では「仰木監督に招かれたから」という入団理由が強調されていた。彼らが生前の仰木監督をどれほど尊敬し、また氏とどれほど親しかったのかはよく知らないが、何でも名士とのきずなを引き合いに出してもったいつけている、という感を拙者はぬぐえなかった。名士を引き合いに出して自分の行動を合理化するのはよくある手なのだ。清は反骨の選手と言われることがあるが、巨人入団に執着していたこの人が反骨的とは、拙者は一度も考えたことはない。前にも言ったが、ノリはオリンピックでバントを成功させてバンザイをしながらベンチに帰ってきた。愛国心に乏しい拙者でさえもこれは国辱だと感じた。こんな幼稚なことをする選手は外国にはいなかった。二人とも中村GMに「拾ってもらってありがとう」と言うだけでよかったのではないか。これから二人で三振の数を競うことになるだろう。
まだまだ八つ当たりしたいこともあるが、長くなるのでこれでおしまい。
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